『元朝秘史』の『源平の争乱シナリオ』をひたすら観戦してみた (観戦内容)

 32回の観戦内容を、統一した勢力、統一時期、ゲーム内での序盤の展開(地方平定段階)、中盤以降の展開(全国統一まで)に分けて記載した。展開の脳内補完はもとより諦めており、大まかな出来事を著述するに留める。

統一勢力統一時期展開

1桓武平氏1192年 夏
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国諸勢力を各個撃破し、統一。

2清和源氏1227年 秋
(序盤) 東国は清和源氏が勝利。西国は、九州武士団が平氏に勝利。

(中盤以降) 源氏、平氏、九州武士団の三国分立状態になるが、東西から押された平氏がまず滅亡。
 源氏と九州武士団の二大勢力となった後は、徐々に源氏が押していき統一。

3桓武平氏1199年 秋
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、木曾源氏が抵抗するも勝利し統一。

4桓武平氏1203年 春
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国諸勢力を各個撃破し、統一。

5膠着1500年でも
決着つかず

(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大をするも、奥州に残った平氏系反乱勢力を攻めあぐね膠着状態に陥る。
 年月がひたすら流れていき、各地で反乱勢力が勃興する。
 (元朝秘史では、領主の反乱独立が多発する。これらの勢力名はランダムで命名される)
 それらが鎮圧されないまま、代替わりの一斉反乱により、
 14ヶ国全てに独立勢力が存在する異常事態となった(平氏は四国で存続)。

 すでに各国とも兵力上限に達したのか、隣国を攻めようとする勢力は無く、
 情勢の変化のないまま1500年を迎えたため、ここで観戦を打ち切った。

6桓武平氏1196年 春
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、清和源氏が抵抗するも勝利し統一。

7桓武平氏1231年 冬
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、木曾源氏が抵抗するも勝利し統一。

8桓武平氏1189年 冬
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国諸勢力を各個撃破し、統一。

9桓武平氏1220年 夏
(序盤) 東国は清和源氏と木曾源氏が二分。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、清和源氏が抵抗するも勝利し統一。

10反乱勢力
「黒河王国」
1242年 夏
(序盤) 東国は奥州藤原氏が勝利。西国は平氏が勝利。だが…。

(中盤以降) 奥州藤原・平氏ともに一度は勢力を広げるが、反乱が続発し混戦状態に陥る。
 その中で勢力を拡大したのが、佐伯景弘が九州で旗揚げした「黒河王国」である。
 瞬く間に西国に勢力を広げた黒河王国は平氏を追って東上、そのまま平氏を滅ぼした。
 黒河王国軍は、何故か1200年代まで生き残っていた摂津源氏を横目に、東国に進出する。
 しかし、東国では奥州藤原氏や奥州藤原系反乱勢力に手を焼き、
 西国では四国で旗揚げした反乱勢力「中泉王国」に今度は追われる番となり、
 一時は畿内以西を奪取されるも(この時の動乱で、しぶとく生き残っていた摂津源氏は滅亡)、
 何とか勢力を盛り返し、相当の時間をかけて全国統一を果たした。

 ランダム作成の反乱勢力に統一されるとはふがいない話だが、
 それがわりあい珍しくないのがこのゲームである。

11桓武平氏1199年 夏
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大するも反乱連発し、それらの鎮圧を待って統一。

12九州武士団1241年 冬
(序盤) 東国は諸国分立。西国は九州武士団が勝利。

(中盤以降) 九州攻めに失敗しつつも東国に勢力を拡大した平氏だったが、
 九州武士団が徐々に東に拡大していき、東国に押し込まれる。
 西国の九州武士団、東国の平氏・奥州藤原の三国並立となり、
 そのまま東国を制圧した九州武士団によって統一された。

13桓武平氏1228年 秋
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、木曾源氏が抵抗する。
 残るは鎌倉、となったところで、膠着状態に陥る。
 この時の木曽の当主は架空武将だが、この武将が当主の間は木曾は全く動こうとしなかった。
 木曽の当主が交代すると、ただちに常陸へ侵攻し攻め取るが、
 即座に周囲の平氏軍から反攻され制圧され滅亡した。

14桓武平氏1194年 夏
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国諸勢力を各個撃破し、統一。

15桓武平氏1203年 秋
(序盤) 東国は諸国分立(奥州藤原優勢)。西国は九州武士団が優勢。

(中盤以降) 西国を席巻した九州武士団が平氏領土を突き破る進撃を見せ、そのまま東国まで攻め込む。
 一時は国土を分断された平氏だったが、近畿一帯を奪回したのを皮切りに領土を回復する。
 菊池高直が奥州藤原氏の攻撃を受けてあえなく信濃の土になると、九州武士団は崩壊に向かい九州にて滅亡する。
 生き残った平氏が奥州で奥州藤原氏を討ち、統一。

16桓武平氏1197年 冬
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、奥州藤原氏が抵抗するも勝利し統一。

17清和源氏1198年 夏
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は九州武士団勝利。

(中盤以降) 源氏、平氏、九州武士団の三国分立状態になるが、東西から押された平氏がまず滅亡。
 源氏と九州武士団の対決を制したのは源氏で、統一時の当主は源頼朝だった。

18清和源氏1227年 春
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は平氏勝利。

(中盤以降) 一度は勢力を伸ばした平氏だったが、反乱軍に手を焼いているうちに、
 東国を抑えた源氏がじわりと勢力を拡大し、時間をかけて勝利を収めた。
 こちらのケースでも、頼朝はしぶとく生き延び、統一を前にした1223年まで生存した。

19桓武平氏1204年 冬
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は九州武士団が抵抗。

(中盤以降) 平氏の勢力拡大に対し、東では源氏、西では九州武士団が抵抗するも、両者を押し切り平氏が統一。

20桓武平氏1208年 秋
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 一時は源平で東西を二分するも、畿内に進出した頼朝が平氏の反攻に遭い敗北すると、
 以下源氏は衰退に向かい、平氏が統一。

21桓武平氏1256年 夏
(序盤) 東国は、奥州藤原氏が越後を攻め、手薄になった奥州へ常陸源氏が攻め入るという異例の展開。
 清和源氏、常陸源氏、奥州藤原氏の三者並立という珍しい事態になったが、生き残ったのは奥州藤原氏だった。
 西国は、九州武士団が抵抗し東上を果たすも平氏が反撃し勝利。

(中盤以降) 平氏が東国に勢力を拡大し、奥州藤原氏が抵抗するも勝利。
 そのまま統一と思われたが、各地の反乱の鎮圧に手間取り、統一は1256年とずれこんだ。

22桓武平氏1195年 春
(序盤) 東国は清和源氏・木曽源氏が拮抗。西国は、九州武士団が抵抗し一字は美濃まで進出。

(中盤以降) 平氏が東国、ついで西国を制圧し、統一。

23反乱勢力
「東海武士団」
1268年 春
(序盤) 東国は源氏が勝利。西国は平氏が優勢。

(中盤以降) 一旦は、源氏と平氏の対決かと思われたが、
 平氏系反乱勢力が各地で誕生し、次第に平氏は瓦解していき滅亡する。
 その結果、日本は下記の4勢力によって分割される。

 ・一路東に向かって突っ切ってきた結果関東に拠点を移した、九州武士団
 ・東海から畿内に勢力を広げた、清和源氏
 ・北陸〜東北に勢力を持つ、『北森政権』(越後で旗揚げした平氏系反乱勢力)
 ・西国を制覇した、『東海武士団』(中国地方で旗揚げした平氏系反乱勢力)

 以上4カ国によるひたすらグダグダな国の取り合いの結果、勝利をおさめたのは『東海武士団』だった。
 もはや、脳内補完のしようのない展開である。そもそも、中国地方で挙兵したのに「東海」とは何事か。

24桓武平氏1196年 夏
(序盤) 東国は諸国分立。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 平氏が東国諸勢力を各個撃破し、統一。

25清和源氏1220年 春
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は平氏勝利。

(中盤以降) 東国を制した源氏が、反乱に気をとられた平氏をじわじわと押していく。
 途中からは平氏系反乱勢力の生き残りや源氏側の反乱に時間をとられながら、ついに統一。

26九州武士団1195年 秋
(序盤) 東国は諸国分立。西国は九州武士団が勝利。

(中盤以降) 平氏が反乱鎮圧に手間取ったすきに勢力を拡大した九州武士団が着々と勢力を拡大、
 木曾・鎌倉と奥州に逃げ込んだ平氏を倒して統一。統一時の当主は、菊池高直。

27桓武平氏1190年 春
(序盤) 東国は諸国分立。西国は九州武士団が抵抗。

(中盤以降) 平氏は東国に勢力を拡大する。
 九州を追われた九州武士団に福原を落とされるというハプニングはあったものの、その後は順調に統一。
 清盛没後にランダム生成された当主が福原陥落時に消滅したため、統一時の当主は平経盛だった。

28九州武士団1218年 秋
(序盤) 東国は清和源氏・木曾源氏が拮抗。西国は九州武士団が抵抗。

(中盤以降) 平氏が伸び悩む中、反乱が相次いで発生する。
 平通盛が当主になって抵抗するも崩壊、各地で混戦状態になった結果、
 西の九州武士団、東の木曽源氏とほぼ二分される(清和は鎌倉で存続)。
 その後木曾源氏は、反乱鎮圧の隙に東国に雪崩れ込んだ九州武士団に圧倒されて滅亡。
 しぶとく残った清和源氏も平定され、統一。

29清和源氏1230年 秋
(序盤) 東国は諸国分立。西国は九州武士団が勝利。

(中盤以降) 九州武士団の侵攻と反乱の連続により平氏は崩壊、
 東国は有力勢力が出現せず、一旦は九州武士団により大半が支配されたが、
 清和源氏が勢力を伸ばして、九州武士団と清和源氏の二大勢力の分立に持ち込まれる。
 越後や東海の取ったり取られたりという不毛な膠着状態ののちに、
 九州武士団の反乱の隙に西国に雪崩れ込んだ源氏が勝利し、統一。

30桓武平氏1193年 春
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 桓武平氏と清和源氏の二大勢力の分立となるが、徐々に平氏が押していき統一。

31桓武平氏1200年 春
(序盤) 東国は清和源氏勝利。西国は平氏が勝利。

(中盤以降) 桓武平氏と清和源氏の二大勢力の分立。
 今度は、源氏が一度は越前・美濃・東海まで進出するもここで息切れし、そのまま平氏に押しつぶされて統一。

32反乱勢力
「白泉軍団」
1341年 夏
(序盤) 東国は諸国分立。西国は九州武士団が勝利。

(中盤以降) 平氏は九州武士団と反乱勢力によって滅亡する。
 混戦の中から生き残ったのは、反乱勢力『白泉軍団』(またしても佐伯景弘が旗揚げ)と清和源氏だった。
 鎌倉に追いつめられた清和源氏は動かず(13回目のケースと同様)、ただただ時間が流れていく。
 時間をかけて源氏を滅ぼした後も、奥州に籠った反乱勢力に対して同様の事態となり、
 統一は、ゲーム開始から160年余りも後のこととなった。




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